40代最後の年に、過酷なレイブフェスへ行くことにした。東伊豆クロスカントリーコース、3日間。体力的に無謀なのはわかっていた。それでも、行かない理由が見つからなかった。
40代最後のレイブ、東伊豆へ。
こんなところに来てしまった、というのが正直な第一印象だった。
伊豆稲取駅を降りると、バス停にすでに見慣れた空気の人たちが並んでいた。
ビルケンにワークウェア、くたびれた革ジャン、ペイズリー柄のシャツ。
性別も年齢も国籍までもバラバラで、でも同じにおいがする。
バスに揺られること15分、東伊豆クロスカントリーコースに着くと、山の空気ごと違った。
到着は18日(土)、そう昨日17日(金)は仕事で参加できなかった。
ただ悔しいというより、どこか正直ほっとした自分もいた。
楽しみの反面、40代最後の年に3日間のレイブフェス、体がもつか不安だったのだ。
バス停前で買った缶ビールを飲み干し、エントランスを潜り、満を持してRDC Stageへ。
午後の日差しが柔らかくなった頃、Gonnoがアシッドとメロディの狭間を漂うように音を重ねていた。
大地に吸い込まれるようなグルーヴ、木漏れ日に溶ける低音。
隣で踊る人がビルケンを脱いで芝に素足を乗せていた。正直、自分もそうしたかった。





少し音楽が落ち着いたタイミングで、フラフラとフードエリアへ流れた。
踊り疲れた体に、スパイスの香りが染みてくる。
気づいたらナシゴレンを頼んでいた。
隣の人が食べているカレーを見て、もう一皿いけそうな気がした。


会場をふらついていると、キッズエリアがあることに気づいた。
子どもたちが走り回っていて、ヨガワークショップも静かに行われている。
深夜にEBMで限界まで踊った同じ場所で、朝には太陽礼拝をしている人がいる。
このギャップが妙に好きだった。
レイブとヨガと子どもの笑い声が共存できるフェスが、東伊豆の山の中にある。


夕暮れのGerd Jansonは別格だった。
ディスコ、シンセポップ、得体の知れないレコード——ジャンルをまたぐたびに「え、次それ?」という笑みが漏れる。
腕を組んで感心しているうちに気づいたら踊っていた。
更に夜も更けHAAiが始まると、空気が変わった。
テクノともハウスとも言い切れない、感情を引き裂くような音の波が押し寄せてくる。
BPMが急に傾き、引っ張られ、また解放される。
気持ちいいのか苦しいのか、もうどっちでもよかった。
星が出はじめた空の下、フロアの熱量だけが際立っていた。
40代の膝が悲鳴を上げそうになりながらも、体が止まらなかった。
感情を引き裂くような音楽が星空の下に広がり、40代の膝が悲鳴を上げそうになりながらも、体が止まらなかった。






屋内のRed Bull Stageへ移るとDJ Nobuが夜の深みへ引きずり込んでいた。
重く、暗く、しかし整然とした暴力。
続くHelena Hauffが生の電子音とEBMを叩き込んで、もはや何時なのかわからなくなっていた。
キャップを深くかぶった隣の女の子と目が合って、思わず笑った。
「どこから来たの?」と声をかけたら「Sorry, I’m Chinese」と返ってきた。
それでも、何かが通じた気がした。
言葉も国も関係なく、こんな山奥の深夜に、同じ音に無我夢中になれる。
それがRDCの醍醐味だと思う。






気づけば25時。フラフラになりながらタクシーを呼んで、民宿へ。
オーナーさんが「お風呂、まだ入れますよ」と言ってくれた。ありがたい。
体中に染み込んだ煙とベースの残滓を、温泉がゆっくり溶かしていく。
布団に倒れ込んで、あっという間に意識が飛んだ。
19日(日)の朝、目が覚めたら体の節々が笑えるくらい痛かった。
それでも会場へ向かう自分が少しおかしかった。
霧が残る山の中でWata Igarashi & KuniyukiのThe Melting Hoursを聴いた。
コーヒーを両手で包みながら、前夜の余韻をゆっくり消化する時間。
ここだけ時間の流れが違う。




フィナーレはAntal & Hunee。
ソウルもレゲエもジャズも全部つながって、夕陽が東伊豆の山肌を金色に染める頃、あの二人のグルーヴが空に溶けていった。
「また来年も来よう」と思った瞬間、膝がまた痛んだ。
それでも来る。たぶん。




























