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それぞれの時間、それぞれの渋谷 ――西山徹 a.k.a TET

Shibuya and Me それぞれの時間、それぞれの渋谷

今日もここはひとびとの活気で溢れていて、悲喜こもごもの人間模様を描いている。ここで長い時間を過ごしてきた人たちはビルの谷間で何を想い、どんな経験をしてきたのか。渋谷。こうしている今も、この街では誰も知らない新たな物語が生まれている。


「引っ越すときに思ったんです。僕は他の地に住めるのかって(笑)」

「生まれたのは広尾の病院。その後、おばあちゃんたちが住んでいたここに来ました」。TETさんが自身の生い立ちを話してくれたのは、昼下がりの西郷山公園。”ここ”というのは、彼が育った南平台のことだ。彼にとって渋谷は生まれ育った場所、ただそれだけ。だからなのか、TETさんは「あんまり意識したことがなかったけど、振り返ると建物も人も増えたなぁ」と特に感慨深くもなさそうにつぶやく。しかしその分、この街での思い出は多い。「今、代官山の蔦屋があるあたりは大きな駐車場になっていて、その周辺と言ったらHOLLYWOOD RANCH MARKETがあっただけだったので、よくスケートボードをしていましたね。(藤原)ヒロシくんとかスケシン(SK8THI NG)と仲良くなったのも公園の近くのビルで滑っていたときでした」。そのころ知り合った仲間のひとりでもある俳優の村上 淳さんは、以前、当時のTETさんについて「スケートボードしにライダースで現れて、なんて格好良いんだ! と思った」と語っていた。それを伝えると、「あぁ、着ていたかも。でも、ムラジュンなんてエンジニアブーツで滑っていましたよ。衝撃的でした。それでめちゃくちゃスケートボードが上手いんだから、フザけてるなぁ、って(笑)」とTETさんは笑う。今、TETさんは家族とともに世田谷区で暮らしている。「引っ越すときは、ついに(渋谷区を)出るんだ、と思いました。僕は他の地に住めるのか……って(笑)。もちろん、いざ住んでみたらなんてことはないんですけどね。ただ、これ以上離れることはないかも。やっぱり自分はシティ特有の賑やかさがある雰囲気の方が好きなんだな、って感じます」。そう言うと、偶然公園に遊びに来た知り合いの子どもたちに声を掛けるTETさん。小さなその子たちにとっては、ここで遊ぶのが日常になっているのだろう。きっと、かつてのTETさんがそうだったように。

 

USEDのTシャツ、DESCENDANTのシャツ、デニムパンツ、WTAPSのサングラス(すべて本人私物)

 

photo:Shunsuke Shiga text:Rui Konnno

profile

Name 西山徹 a.k.a TET
Job WTAPS/DESCENDANT/FORTY PERCENT AGAINST RIGHTS® ディレクター
At 鉢山町
1974年生まれ、東京都渋谷区出身。’93年に「FORTY PERCENT AGAINST RIGHTS®」を、’96年には「WTAPS」をスタートし、今日まで変わらない国内外のストリートシーンの絶大な支持を得る。その経験値と審美眼は等身大の暮らしに寄り添った、普遍的な服作りを地で行く「DESCENDANT」でも生きている。

子どものころから今まで、通い続ける場所


鳥竹
「高校生のころ、このお店の裏にあったビリヤード場でバイトをしていて、よくここに買い出しに来ました。今でも好きでよく利用しています」

 

住所:渋谷区道玄坂1-6-1
☎03-3461-1627
営業時間:14:00~24:30

BYG
「知ったのはグレイトフル・デッドにハマっていた時代。曲をレコードでかけてくれる喫茶店で、そのコレクションを見るのも面白い」

 

住所:渋谷区道玄坂2-19-14
☎03・3461・8574
http://www.byg.co.jp/
営業時間:月~土…17:30~2:00 日・祝、ライヴ時…15:00~26:00

西郷山公園
「開園当初から来ています。昔は小さな滝があったりも。当時は園内でスケートボードをしていても怒られませんでした」

 

住所:目黒区青葉台2-10-28

※本ページは『warp MAGAZINE JAPAN』2018年6号に掲載された情報を再編集したものです。

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