アンディ・ウォーホル大回顧展「アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO」出展作品の構成、チケット全券種発表!チケット先行販売もスタート!グッズ付きチケットには限定デザインBE@RBRICKも!

 

2022年9月17日(土)より京都市京セラ美術館 新館「東山キューブ」にて開催される「アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO」展(主催:京都市、アンディ・ウォーホル美術館、ソニー・ミュージックエンタテインメント、MBSテレビ、産経新聞社、京都新聞、WOWOW、FM802/FM COCOLO)の出展作品の構成と展覧会チケットの全券種が発表された。

 

 

 

本展は大きく5つの章に分かれており、それぞれ「ピッツバーグからポップ前夜のニューヨークへ」、「ウォーホルと日本そして京都」、「『ポップ・アーティスト』ウォーホルの誕生」、「儚さと永遠」、「光と影」と題する章で構成されています。アーティストとして活躍する前のイラストレーター時代の作品から最晩年の作品まで、各章に代表的な作品が配置され、時代背景や作品の主題やコンセプトなど様々な視点からウォーホル作品を楽しめる構成となっています。「ウォーホルと日本そして京都」では、作品以外にも着物やポストカードなど、ウォーホルが私的に収集した物品のなかから、日本にゆかりのある品々も展示。

 

また、本展で展覧される全作品を所蔵するアンディ・ウォーホル美術館のパトリック・ムーア館長、そして本展キュレーターのホセ・カルロス・ディアズ氏から、本展開催にあたり次のようなメッセージが寄せられている。

 

 

 

【アンディ・ウォーホル美術館パトリック・ムーア館長コメント】

アンディ・ウォーホル美術館のチーフ・キュレーター、ホセ・カルロス・ディアズのキュレーションによる大回顧展「アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO」にて、当館のコレクションが日本で公開されることをうれしく思っております。京都は、ウォーホルを魅了し、彼にたくさんのインスピレーションを与えた街です。彼が大好きだった日本で再び展覧会を開催できることを光栄に思っています。

 

【同館チーフ・キュレーター ホセ・ディアズ氏コメント】

本展は、アンディ・ウォーホルの多彩な人生とキャリアを紹介するだけでなく、このポップ・アーティストを新しい世代のファンに知っていただく機会にもなります。またこの展覧会が、京都をはじめ、日本中の本展をご覧になる方々にインスピレーションを与えてくれることを願っています。驚かれる方も多いかもしれませんが、ウォーホルは1956年に世界一周旅行をした際に、旅の中で最も長い期間となった2週間近くを日本で過ごしました。今回の展覧会の第2章では、この旅に焦点を当てるとともに、彼の日本に対する関心とその影響を示す、貴重なスケッチ、版画、写真、資料なども展示します。

 

そして、本展のチケット全券種も発表となりました。当日券、前売券(販売期間:8月17日(水)10:00~9月16日(金))の他、本日よりイープラス限定で販売がスタートとなる早割先行ペアチケット(販売期間:6月1日(水)~7月14日(木))、グッズ付きチケット(販売期間:7月15日(金)~9月16日(金)※予定数に達し次第終了)が販売されます。

 

 

また、グッズ付きチケットは図録がセットになったチケット、トートバッグ(2種いずれか)がセットになったチケットに加え、限定デザインのBE@RBRICK ANDY WARHOL “Cow Wallpaper” 100% & 400%がセットになったチケットを販売。数量限定になりますのでお見逃しなく。

 

 

【本展の見どころ】

門外不出の《三つのマリリン》、大型作品《最後の晩餐》ほか、京都でしか見られない日本初公開作品100点以上を含む約200点が一挙に日本にやってくる!
アンディ・ウォーホルの内面に迫る注目の作品群―京都ゆかりの作品も公開!

 

ポップ・アートの旗手として、アメリカの大量消費社会の光と影を描いたアンディ・ウォーホル。この大回顧展では、1950年代に商業イラストレーターとして活躍していた初期の作品から、1960年代に事故や死を描いた象徴的な「死と惨事」シリーズ、アンダーグラウンド映画やテレビ番組などの映像作品、セレブリティ(有名人)たちの注文肖像画、そして、その名声を揺るぎないものとしつつ、カトリックの生い立ちにも触れる晩年の作品などを包括的に展示。この充実した内容の本展は、巡回せず、京都だけの開催。

 

アンディ・ ウォーホルは、1956年の世界旅行中に初めて来日し、京都を訪れました。本展では、京都とウォーホルの関係に目を向け、そのゆかりを示す貴重なスケッチなどを展示し、若き日のアンディ・ウォーホルの心を捉えた京都の姿に思いを馳せます。アメリカ・ピッツバーグのアンディ・ウォーホル美術館の所蔵作品のみで構成される日本初の展覧会であり、絵画・彫刻など約200点および映像15点の展示作品のうち、門外不出の《三つのマリリン》を含む100点以上が日本初公開作品となる本展に期待が高まる。

 

【出展作品の構成と主な展示作品】

▶ピッツバーグからポップ前夜のニューヨークへ

1950年代初頭から60年代にかけて、商業イラストレーターとして一躍評判となった時期の作品を紹介。ペンシルベニア州ピッツバーグで生まれ育ったウォーホルは、1949年、カーネギー工科大学(現カーネギーメロン大学)の絵画デザイン学科を卒業した。同年、ニューヨークに移住したウォーホルは、ほどなく、広告業界でファッションエディターたちと協働する優秀なクリエイターたちの常連となりました。当時ウォーホルは、複製に適した簡易なモノタイプの版画技法「ブロッテド・ライン」を確立し、やがてこの技法により、同じイラストレーションが数々の色彩や装飾で仕上げられ複数制作されることになりました。『グラマー』誌、『ハーパーズ・バザー』誌、キャデラック社、I・ミラーシューズ社といったクライアントのために制作した初期作品には、商業広告には珍しい金や銀の箔も使用された。

 

▶ウォーホルと日本そして京都

1956年、ウォーホルは自身への「ご褒美」として世界一周旅行に乗り出した。初めての海外旅行は、彼の人生における重要な転換期と見なされている。ウォーホルは京都、東京、香港、マニラ、ジャカルタ、バリ、シンガポール、バンコク、アンコールワット、カルカッタ、カトマンズ、ニューデリー、カイロ、ルクソール、ローマを訪問した。旅のハイライトは、6月21日から7月3日までの約2週間を過ごした日本です。ウォーホル美術館の把握する限り、ウォーホルはカメラを持たず、スケッチブックに写生しながら旅を記録した。手帳や旅のパンフレットに残されるスケッチにも、日本文化に出会う模様がさまざまにうかがえる。

本章では、京都滞在中のドローイングや写真といった作品と、地図やお土産などの資料が含まれた。その後、1974年に再来日したウォーホルは、生け花など豊かな文化に触れており、その影響が手彩色の生け花のドローイングに見て取れる。最新の情報を交えながら、ウォーホルがインスピレーションを受けた日本の魅力や日本との関わりについて紹介。

 

▶『ポップ・アーティスト』ウォーホルの誕生

アメリカでポップ・アートが開花し、ウォーホルはそのムーブメントの中心人物の一人になった。1963年11月にスタジオをニューヨークの東47丁目231番地に移転したウォーホルは、すぐに美術界のトップの仲間入りを果たす。全米の美術館はこぞってポップ・アートをテーマにした展覧会を開催し、ウォーホルの作品は決まって紹介された。「ファクトリー」と名付けられた彼の新しいスタジオは、作品制作、音楽、社交の場として、すぐさまアメリカで最もクールで享楽的な場のひとつとなった。1960年代のシルクスクリーンによる作品は、人の手というより「機械でつくられた」かのように見えるだけでなく、当時の大量消費社会を反映した。ウォーホルは広告の大きな影響力を理解しており、消費者の関心を引くために広告と同様の手法を作品に取り込んだ。

 

▶儚さと永遠

新聞の派手な見出しからハリウッドの憧れのスターまで、日常生活に作品の題材を求めていたウォーホルは、1960年代以降、自身を取り巻く、その当時注目を集めた独創的な人々を描いている。

子供の頃からハリウッドスターに憧れていたウォーホルは、1962年、マリリン・モンローやエルヴィス・プレスリー、エリザベス・テイラーといった有名人を題材とする一大肖像画シリーズの制作を始めた。その後10年も経たないうちに、ウォーホル自身が有名人となり、著名な俳優、アーティスト、ミュージシャン、作家、モデル、裕福なパトロンに囲まれるようになった。彼らのほとんどが、ウォーホルの映画制作や肖像画を通して記憶され、永遠の存在となった。

ウォーホルはまた、ポップ・アーティストの代表的存在となり、フランク・ステラやロイ・リキテンスタイン、ドナルド・ジャッドなどといったアーティストとともにアメリカ美術界における確固たる地位を確立した。

 

▶光と影

最終章では、ウォーホルの複雑な生涯をめぐる諸相を探る。名声と悪評によって、ウォーホルの存在は謎に包まれるようになった。ウォーホル自身、矛盾に満ちた人物として、生と死、公と私、神聖な文化と世俗的な文化といった、相反する主題と対峙していた。本章では、死と闇に焦点を当て、自殺、自動車事故、事故現場を写した雑誌や新聞の画像を使った「死と惨事」シリーズを取り上げた。また、「最後の晩餐」シリーズといった晩年の作品を通して、謎めいたスターであり、ビザンティン・カトリックの信者であったウォーホルの複雑な一面を明らかにしていく